SSブログ

「いま読みたい!人気俳優物語」~ウォンビン編~ [ウォンビン]

韓流エンタメ誌「愛してる韓国ドラマ」から発展したウェブサイト「口コレ」さんよりウォンビンさんの記事をお借りしました[わーい(嬉しい顔)]

俳優ウォンビンさんがゆっくりと歩んでこられた俳優人生を、あらためてゆっくりと読まれてみてください[本]


【いま読みたい!人気俳優物語11】

第11回/ウォンビン(前編)

ペ・ヨンジュン、イ・ビョンホン、チャン・ドンゴンと共に、かつて「韓流四天王」と呼ばれたのがウォンビンだった。2000年の『秋の童話』でブレークし、2002年には日韓合作ドラマ『フレンズ』で深田恭子と共演して日本でも人気を博した。彼の俳優人生を振り返ってみよう。

279.jpegアクセスランキング

空白期間がいつも長い

ウォンビンは寡作だ。

これまで出演した作品がとても少ない。彼が大衆的に広く愛されるようになったドラマ『秋の童話』から数えると、大衆が知っている彼の出演作はドラマと映画を全部入れても一ケタだ。彼の場合は、とにかく空白期間が長すぎるのだ。

どんなスターでも長く活動しなかったら、ほぼ引退したと認識されやすい。移り変わりの激しい芸能界、その中でファンに愛されたり記憶されたりするのはほんの一部に過ぎない。ましてウォンビンは出演作も少ない。それは、ファンが彼を記憶するための素材が少ないということを意味している。とはいえ、ファンはウォンビンを待ち続けている。

ファンが彼を待っていた理由は何だろう。そして、そのファンの期待にウォンビンはどのように応えているのだろうか。

1996年、ケーブルテレビの第一放送の第3期公開募集タレントとして演技を始めたウォンビン。彼はデビュー初期から多作を避けてきた。2004年の映画『マイ・ブラザー』を最後に軍隊に入隊したが、怪我によって除隊。しばらく音沙汰がなかったが、2009年にポン・ジュノ監督の映画『母なる証明』で復帰した。そして、2010年の映画『アジョシ』で名演技を見せた。

279-1.jpg

『秋の童話』のイメージが強烈

ウォンビンは少ない出演作とは裏腹に、あまりにも様々な役を演じてきている。ここが特に重要である。

おそらく、多くの人々が持っているウォンビンのイメージは、トレンディ―で都会的なセンスというものだろう。

しかし、ウォンビンが都会的な男の役を演じたことは少ない。多くの人は彼がカッコいい役ばかり演じてきたように思っているが、そんな役は『秋の童話』を含む初期の2、3本だけだ。デビューと共に作られたイメージが、あまりにも彼の外見と似合うため、ファンは以後も同じイメージだけを記憶し続けてきたのだ。

そういう意味では、ウォンビンは外見が自分自身のハンディになる悲運の俳優とも言える。主役級として映画にデビューして以来、ウォンビンが演じてきた役は『ガン&トークス』『ブラザーフッド』『マイ・ブラザー』『母なる証明』など、大体は田舎臭くて子供のような男ばかりだった。

それにも関わらず、ウォンビンという俳優を語るとき、まずは都会的なイメージが浮かぶ。それはなぜなのか。彼が限定されたイメージを持つようになったのは、彼の出世作となった『秋の童話』での世間知らずの御曹司という役が強烈だったからだ。

愛する人に対して自分だけを愛してくれることを懇切に願う彼の姿は、洗練されていながらも、一方では母性本能をくすぐる“ウォンビンらしさ”を定義する基準となった。しかし、先にも言ったように、いかにもウォンビンらしい役を彼が演じたのは『秋の童話』だけである。

保護本能を刺激する存在

『秋の童話』以降、ウォンビンは洗練された役を避ける傾向があった。実際、『ガン&トークス』『ブラザーフッド』『マイ・ブラザー』などの映画では、ジャンルも役の性格も違う作品に出演して、新しい演技を見せようと絶えず努力してきた。

それでも、ウォンビンが演じてきた人物を注意深く観察すると、ある共通点を見いだせる。すべての役が“保護されている”ということだ。

たとえば、『秋の童話』のテソクの場合、ボンボンで愛のためなら純粋に突進する役だったが、どこか憐憫を思い起こさせる子供のような感じを持っていった。ウォンビンの映画デビュー作となった『ガン&トークス』でも、どこか抜けているキラーとして、恐ろしさよりかわいさを感じさせる末っ子の役を演じた。

また、大ヒットした『ブラザーフッド』でも、戦争という極限の状況の中で兄から守られる弟の役を演じたし、『マイ・ブラザー』でも喧嘩は強いが、むしろ弱い兄に慰労されて愛される弟の役に扮していた。

ウォンビンがそのように「弟」の役、誰かに見守られて保護される役を担ってきたのは、やはり、彼の外見が大きく作用したと言わざるをえない。まるで小鹿を思わせるように大きくて潤った目、どこか弱く見える繊細な顔の線、よく整えられた長い手と足……それらは誰が見ても保護本能を刺激するものだった。

【いま読みたい!人気俳優物語12】

第12回/ウォンビン(中編)

2015年5月に女優のイ・ナヨンと結婚したウォンビン。彼は1977年なので今年で数え40歳になる。それでも、若々しいイメージがずっと残っている。それが俳優としての弱みにつながることもあるのだ。

280-1.jpg

インタビューしづらい俳優

あるインタビューで、ウォンビンは「今まで演じてきた役の中ではあまりにも弟の役が多かった」と指摘されると、こう答えた。

「自分の中では、誰かを守り世話をしたいという想いが大きいと思います。なぜこんなイメージが強くなったかはしりませんが、映画の中ではいつも誰かが僕を守ってくれていたんです。これからは僕が誰かを守るという作品に出たいと思っています。でも、またも末っ子やいたずらっ子の弟などの役の話ばかりが来ますよ(笑)」

実際のウォンビンの性格は、もっと男性的だ。広く知られてはいないが、彼はテコンドーの公認3段であり、モーターサイクルとカーレーシングを趣味にしている。また、写真を見た読者もいるだろうが、ウォンビンは一時インターネットで話題になったほどすばらしい筋肉質の体型をしている。

そして、記者たちが最もインタビューしづらい俳優の1人に選ぶほど無口で、芸能人の友だちはあまりいないという。数少ない親友のカン・ドンウォンと親しくなった理由が、お互い無口で一緒にいても話をしなくてもいいからだった。

281.jpg

演じる役を制限される傾向が強い

意外とも思える性格を持ったウォンビンなのだが、やはり、美しいほどの容姿を持った影響はあまりに強かった。

人々は彼の外見にとらわれて、実際にはそんなに演じていない洗練された都会的なイメージだけを記憶している。出演依頼がくる作品も、主に保護される役ばかりだった。

韓国の美男俳優の代表ともいえるチャン・ドンゴンがかつて「自分の容姿が演技には邪魔になっていて悩んでいる」と語ったことがある。一般の男性からすると羨ましいかぎりのことでも、本人は深刻に悩むのである。ましてや、ウォンビンの場合は、演じる役を制限される傾向もあった。

特に、映画『母なる証明』(2009年)でウォンビンが担った役は、“保護される”という点では以前と同じだった。むしろ、最も弱くて誰かの保護なしには生きていけない役だったともいえる。

田舎を舞台にして、殺人の容疑者になってしまった息子の無罪を証明するために奮闘する母を描いた映画『母なる証明』。ウォンビンのファンはガッカリするかもしれないが、実はこの映画は、国民の母とも呼ばれている名女優キム・ヘジャのための映画だった。ポン・ジュノ監督は最初からキム・ヘジャを念頭において構想を練ったと公言していた。キム・ヘジャの出演が不可能だったら映画製作はしない、と断言したこともある。

しかし、ウォンビンは単独主演も可能な作品を次々に断って、キム・ヘジャが主役の映画を選んだ。そこには、彼のどんな思いが込められていたのか。

難しい役を見事に演じた

映画『母なる証明』でウォンビンが担ったのは、田舎に住む思慮不足の青年の役だ。

誰もが認める美男俳優が、田舎臭くて冴えない青年の役を演じるとは……。トップレベルの俳優が5年ぶりに選択した役の比重と内容のすべてがファンには意外だった。多くのメディアがウォンビンとのインタビューの中で、この映画を選んだ理由ばかりを聞いたのも当然だろう。

そんなとき、ウォンビンはこう答えた。

「『母なる証明』に出会う前には、似たような種類の作品のオファーが多かったですね。それらはすべて以前に演じた役とあまり変わらなかったので、何よりも変化がほしかったんです。それで、今までのオファーにはそんなに心が動きませんでした。でも、『母なる証明』は今までとは違う役だと感じたので、ぜひやりたくなりました」

何よりもウォンビンが惹かれたのは、興行性と作品性を兼ね備えたポン・ジュノ監督と国民俳優のキム・ヘジャの組み合わせである。それだけで、作品に何かが生まれる可能性があった。しかも、高度な内面の演技を求められる役だった。ウォンビンとしても、『秋の童話』以降に固められていたイメージを一変させるのにふさわしい作品に思えたことだろう。

ここで注目すべきことは、ウォンビンが言った「今までとは違う役」ということだ。『母なる証明』でのウォンビンが演じるドジュンは、単に「保護されるだけの人間」ではない。頭が弱くトラブルばかり起こして母親の保護を受けているが、事実はすべての事件の始まりであり、それをいっそう深める重要な要素として作用している。

つまり、ドジュンという役はただ事件に縛られているのではなく、実は事件の中心にいるのだ。映画設定の元になる「母性本能をくすぐる息子という装置としての役」だけではなく、明るさと暗さ、善と悪の間を微妙に行き来しながら、劇的な緊張感を高めるために刻々と変化する役でもあるのだ。ウォンビンは演技しながら「いつも悩むばかりだった」と正直に告白したが、この役は一言では定義しがたいほど難しかった。

結論からいえば、このように至難な役をウォンビンは見事に演じた。人にさげすまされながらも、すべてを見極めているような内面的変化をウォンビンは的確に演じた。この境地に達するには、高いレベルの演技力が必要だ。ウォンビンは『母なる証明』で、単純に以前のイメージから脱しただけではなく、いつも付きまとっていた美男スターという修飾語をはぎとり、すばらしい演技力を持った俳優としての立場を強固にした。
<口コレさんより>

(次回に続く)


タグ:ウォンビン
nice!(10)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。